25年ぶりの電話ボックス †
大阪最終日、実は朝早く起きて思い出の場所に行った。ここは僕の記憶にある一番古い場所、物心ついたときにはここにいた。線路側の垣根沿いにある溝を歩き、フェンスをくぐって遊んだ。ここから外にでてはいけませんよと言われた団地入口のあんなに広かった道幅は、とても狭くなっていた。10円で数分ファミコンのスーパーマリオができるイズミヤへいくための巨大な線路をまたぐ橋も、たいそう縮んでいた。野球もどきをしたり自転車でこけてみたり、当時ちょうど今の僕より少し年上の頃の父が一人テニスしていた壁はあの公園にまだあった。壁こんなに小さかったんだな。駐車場では父のシビックの鍵を開けようとしてつっこんだ木片がとれなくなって詰まって怒られた。木片つっこんで開くかいな。公園脇の花壇の椿は無くなっていて、花畑になっていた。ある季節に椿のつぼみを宝物と思い込んで全部摘み取ってしまったことがある。母に怒られて泣きながら摘んだつぼみを椿の根元の土に返した。あの年椿の花が咲かなかったのは僕のせいです。
電話ボックスはまだあった。引越しの日、幼馴染のちいちゃんと泣きながら宝物を交換した。シビックが停まったこの電話ボックスの前で。その時何を渡したかは覚えていないが、キティーちゃんの青いペンをもらったのは覚えている。ちいちゃんとはそれ以来会えてない。気の強かったおてんば娘は今頃はどこかでお母さんしてるのかな。そのペンは今でも実家の本棚に立っている。電話ボックスはまだあった。